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それぞれの彦根物語「彦根あそび博」の発想・仕掛け・企画・実行

それぞれの彦根物語56 
彦根景観フォーラムの400年祭(1)   2008/12/15
                                                リポートE.H 

彦根景観フォーラムが寺子屋力石で開催している談話室「それぞれの彦根物語」では、「400年祭を振り返る」と題して、市民創造事業で自ら手を上げて活躍された人々を紹介してきた。今回は、その最後として、彦根景観フォーラム自身が、自らの「400年祭」を振り返る第1回目である。「彦根遊び博」の発想、仕掛け、企画、実行を会員の皆さんが発表された。
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「450年祭の彦根」からの発想 
 2006年1月、彦根景観フォーラムは、「彦根城築城400年祭」の事業アイデアを会員に募集し、ある会員から「遊び博」の提案を受けた。2006年は「長崎さるく博」というまち歩き博覧会が開催された年だ。「さるく」とは「ぶらぶら歩く」という意味の方言で、長崎ならではの歴史や風物、隠された謎を「さるくガイド」が案内するというもので、これを参考にした企画だった。

 しかし、その発想は、「450年祭の彦根」を考えるという、極めてユニークなものだった。
それぞれの彦根物語「彦根あそび博」の発想・仕掛け・企画・実行_d0087325_22553888.jpg50年後の彦根はどうなっているだろうかと考えるとき、彦根城は残されても、城下町は消滅していると考えるのが普通だ。事実、わずか数年で芹橋の足軽屋敷や古い商家が壊され、空き地になった。近代和風の傑作建築である和光会館や、近江絹糸、鐘紡などの近代化遺産も跡形もなく消滅した。
 その後には、どんなまちが残るのか。東京や京都に追従しているように思えるが、すでにこれらの都市は限界が見えている。彦根は、彦根らしい独自性を生かした都市を創造すべきだという発想である。


50年後に「なりたい彦根」は?  
 彦根景観フォーラムは、「なりたい彦根」の理想像を「年輪を積み重ねるまち」、「過去とともにある未来の創造」、「過去から未来をつむぐ街」と表現している。これは決して観念的なものではなく、多くの人達の気持ちを確かめた結果だ。モデルは、フランスのシノン、イタリアのボローニア、ドイツのドレスデン。これらの都市は、歴史再生で経済や文化が活性化している「世界遺産ブランド」だ。歴史と文化が、まちなか居住、まちなか観光を促進し、地域経済を支えている。
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 彦根景観フォーラムでは、古くて美しい創造的な生活が営まれる歴史再生都市・彦根をめざして、戦略目標として「世界遺産登録」を設定していた。そこに、世界遺産への第1歩として提案された「彦根遊び博」は、彦根を屋根のない歴史博物館・彦根エコミュージアムにする実験を、市民とともに進めようとする大胆な提案だった。


「彦根あそび博」の仕掛け・企画
 その仕掛けの第1は「見える化」。埋もれている彦根の城下町遺産、近代化遺産を発見し、市民や観光客に見えるように構成する「まちあるきツアー」を実施することだ。
 第2の仕掛けは「心のスイッチを入れる自分化」。市民プロデューサーを募集して養成し、自分事として「まちあるき」を楽しむ創造的な市民を発掘すること。それぞれの彦根物語「彦根あそび博」の発想・仕掛け・企画・実行_d0087325_2258530.jpg
 これらを通じて、市民創造事業の仕組みをより強化し、市民プロデューサーによって、地元の人しかわからない「通」なまち遊びを作り出し、多くの人が楽しみながら、街の魅力を発見する狙いだった。

 こうして、市民プロデューサー養成講座、市民プロデューサーによる「通」な街歩きコースの開発、4つの古民家などを活用したサテライト・パビリオン(寺子屋力石:それぞれの彦根物語館、埋木舎:井伊直弼青春物語館、七曲がり仏壇店:彦根匠の技館、元風呂屋:石田三成物語館)などが提案されたが、一NPO法人では実行力が不足なのは明らかだった。


企画の修正と実行
 柔軟な議論のなかで、彦根ならではまち遊びの発見を「それぞれの彦根物語」という談話室を開催して取り組み、談話室の話題を再構成し、話題提供者に案内人になってもらって彦根遊び博を開催することになった。
 2006年5月、談話室「それぞれの彦根物語」がスタート。2006年11月23日に「プレ彦根あそび博2006」を3コースで開催。そして、本番の2007年春と秋に「それぞれの彦根物語」の蓄積を活かした11のコースで合計16回のまち歩き博覧会を実施した。
 今から振り返ると、当初の企画の「石田三成物語館」が「戦国丸」として実現していたり、ガイドブックが「彦根歴史散歩」として刊行されるなど、本当に不思議な現象が起こっている。


知恵と善意が集まるNPO

 この日は、「芹川堤の自然と遊ぼう」、「雨壷山の歴史・自然と遊ぼう」、「脇街道・七曲がりで遊ぼう」、「高宮宿で遊ぼう」、「善利組屋敷界隈であそぼう」、「内曲輪・城郭で遊ぼう」、「天寧寺で遊ぼう」、「佐和山周辺で遊ぼう」、「鳥居本宿で遊ぼう」の各コースの概要と写真が参加者からスライドで紹介された。
 どのコースも、詳細にみると会員を含めて多くの人たちの協力で実現していることがわかる。まちあるきの先頭に立って地域の暮らしや歴史、川や植物などをガイドしてくださった方。未公開の社寺や建物、自宅や作業場をみせていただいた人達。さらには、お茶席を設けていただいたり、私蔵の絵画や書を展示していただいたりした。遠くの友人を誘って参加していただいた方もある。これらの人々をつなぎ、丁寧な案内資料を作って「楽しいまちあるき」をプロデュースした会員の皆さんの力も目を見張るものがある。

 なぜ、このようなことが起こるのだろうか。それぞれの彦根物語「彦根あそび博」の発想・仕掛け・企画・実行_d0087325_2249432.jpg
 その根底には「彦根を愛し、よりよくしたい」という人々の純粋な気持ちがあると思われる。400年祭は、その思いを市民創造事業の公募という仕組みですくい上げた。同じ思いがNPOにも向けられ、多くの人たちの知恵と善意が集まったのだ。
 よくNPOには金はないが知恵があるといわれる。しかし、より正確には、多くの人々の様々な知恵と善意がNPOに集まって、力となり勇気となって行動につながるのではないだろうか。

 「彦根あそび博」最終回は、善利組足軽屋敷を巡るコースとなった。そこで、初めて消滅の危機にあった辻番所・足軽屋敷が公開され、その後、辻番所・足軽屋敷を買い取るトラスト運動へと発展、700万円近くの寄付が集まった。NPOが、市民から「知恵と力と勇気をもらった」ように思えるのだが、どうだろうか。  (By E.H)

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       クラウンブレッド平和堂さんからパンの差し入れをいただいた。
by machinoeki | 2008-12-21 22:33 | 談話室「それぞれの彦根物語」
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