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築城400年祭《談話室》 それぞれの彦根物語 2007.3.17

【彦根物語31】
 「長野義言とその門人中村長平」

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久保田 昌弥
(彦根史談会会員)




 幕末の彦根藩の城下に、中村長平という町人がいた。屋号は油屋という郷(ゴウ)宿(ヤド)を業としていた。安政元年(1854年)長平19才の時、長野主膳義(ヨシ)言(トキ)の歌学及び国学の家塾『桃廼舎(モモノヤ)』に入門した。
義言は、藩主井伊直弼によって、藩校である弘道館の国学方として、20人扶持で召し抱えられるのであるが、その後直弼が大老職に就任すると、義言はますます幕府の朝廷工作や、京に於ける風聞探索の仕事に引張り出されるのである。義言が命により京にある時は、長平もしばしば師にしたがって、下働きをするのである。
主君直弼の死後、彦根藩に於ける文久2年(1862年)の政変によって、義言は死刑になる。長平は、義言や連座して亡くなった人々の遺族に対し、自らの危険をかえりみず、あたたかい援助を続ける。義言の門人277人もいるというのに。長平自ら『生涯かけて師を思う情、片時も離れることなし』と述べているように、師の汚名をそそぐことに生涯をかけた義人中村長平こそ、私共彦根人の誇りとしたい。

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          中村長平               彦根城博物館蔵『桃廼舎授業門人姓名録』 

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義言墓石


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義言地蔵

『長野主膳義言と岩佐由子』(山東町立柏原歴史館)より転載

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中村長平
遺稿「ありのまま」
長野義言
義言地蔵
天寧寺
清涼寺


★談話室「それぞれの彦根物語」の関連情報は、下記HPでもご覧いただけます。
滋賀大学産業共同研究センター
滋賀大学地域連携センター
by machinoeki | 2007-04-10 13:41 | 談話室「それぞれの彦根物語」
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