LLP(有限責任事業組合)ひこね街の駅 武櫓倶

第一回「戦國丸」武者学舎フォトレポート

 「謎多き佐和山城にせまる」   
   ~最新表採異物・桐紋瓦片よりひもとく~

f0017409_17134055.jpg
佐和山城址から最新表採物・桐紋瓦片 
    採取場所:本丸周辺 寸法:タテ160ミリ ヨコ115ミリ 厚さ35ミリ

f0017409_15565228.jpg
              講師 田附清子氏 佐和山城址研究会代表

皇室の紋としての桐紋は鎌倉時代に完成したようで、菊紋同様後鳥羽上皇のときではないかと推測されています。
室町期の後醍醐天皇のときには足利尊氏に桐紋を下賜したとかかれており、このときにはすでに皇室の紋になっていることが明らかになっています。
こうして、桐紋は菊紋と同様に皇室の紋になり、多くの武家に下賜されています。
ちなみに、13代足利義輝から織田信長に桐紋が与えられています。
信長は桐紋を自己の権威と天皇家に対する威勢の象徴として使用しており、その使用については、信長本人と嫡男織田信雄の城に限定している。
このように、天皇家から武家に。
さらに、武家から武家に桐紋が伝わっていきました。
その中には豊臣秀吉もおり、彼はその桐紋を愛し、おのれの権力を誇示するためにも工芸美術品の多くにつけられ、桃山時代の美術品の多くには太閤桐と呼ばれる紋がすえられ、自己のPRにも役立てました。
さらに、秀吉は信頼する家臣に桐紋を与えたといわれています。
秀吉の家臣で佐和山城主になったのは、堀秀政・堀尾吉春・石田三成。
さて、この3人の誰が城主時代にこの桐紋の鬼瓦は葺かれたのか?・・・・・


f0017409_15571390.jpg
 
          いくさめし!戦陣食を実体験!+戦国と諸国事情放談 

f0017409_1559383.jpg



f0017409_1613046.jpg
                       佐和山古絵図

f0017409_1622860.jpg

          よみがえる佐和山城!!昨夜の講義を実戦体験!!
 佐和山研究第一人者!田附清子氏(佐和山城址研究会代表)による豪華な現地講義


f0017409_1694655.jpg
f0017409_1644964.jpg
 千貫井戸より都(京都)を望み、中世より極めて重要性の高い境目の城としての講義を受ける


f0017409_168513.jpg
城下に轟く太鼓の櫓があったといわれる太鼓丸にも大きな土塁が残っています、その先には巨大な切り通しがあり、千畳敷が広がってます。
f0017409_167264.jpg
女郎谷は太鼓丸口から歩いて10分足らずの距離であり、本丸跡に比較的近いところです。佐和山城が落城した時、石田三成の家臣の婦女子たちが、この谷から身を投げ、その断末魔の悲痛な声が三日三晩響きわたったと書かれています
f0017409_16154447.jpg
f0017409_1616361.jpg
近年行政による佐和山整備が進み更に四方の見晴らしが素晴らしい!!
こちら西南方向眼下の彦根城とはるかに繋がる琵琶湖の遠望
f0017409_1949546.jpg
こちら千貫の井戸からJR彦根駅、その向こうに見える真ん中の小山は標高285M、県下2番目の規模を誇る荒神山古墳も確認され市の指定文化財になってる荒神山。湖東地区全世帯向けのテレビやFMの中継アンテナもこの山にあります。
f0017409_16164213.jpg
f0017409_16171948.jpg
f0017409_1634530.jpg

f0017409_16351931.jpg


f0017409_23375152.jpg
佐和山城址があるご当地彦根市も近年の義将、歴女ブームや大河ドラマ「天地人」に登場するであろう小栗旬扮する「石田三成公」人気を予想し、来年設置予定の佐和山城址内の案内看板を急遽設置する運びとなった模様・・・やる時はちゃんとやるよ!彦根の文化財課は!どうぞご期待下さい♪ (天守に置かれていた立派な案内看板の足)

f0017409_16354628.jpg
石田三成の屋敷といえば長浜石田町の生誕屋敷を思い浮かべる方が多いのですが、実は佐和山山麓(現彦根市古沢町)には関ヶ原合戦に向う最後の時まで三成公が過ごした石田三成屋敷跡があります。此の石田屋敷から藪道を通り其の先からは主尾根を通り太鼓丸~本丸(天守)へ至る道があったといわれています。

f0017409_16464689.jpg
石田屋敷に程近い古沢町には石田地蔵が今も住民によって手厚く供養されています。

■石田地蔵

彦根藩は三成の遺徳を一掃する為に佐和山の形を変えるほどの破城をおこなった上に、百二十年の長きに渡って「佐和山入山禁止令」を出し、おまけに「石田家の噺を致すことを厳しく取り締まり、古城辺の物語りまでもご法度」としたのです。
三成一族の民政はすぐれ、領民をどこよりもたいせつにしていたので、井伊家の徹底した”三成抹消”政策をもってしても残念ながら人々の記憶や慕情まで消し去ることはできなかったのです。
三成の徳を慕う領民は命を賭けて密かに佐和山に入り、お地蔵さんを作っては山あいに祷り、三成一族の霊を慰めたつづけ、三成の善政は子から孫へと語り継がれたといわれます。
命がけのお地蔵さんの数は数百体ともいわれ、ひとびとはそれを「石田地蔵」とよんでいます。
今も佐和山城本丸天守跡等に数体祀られています。

ご案内
第二回武者学者予約フォーム
4月11日(土)
一、講義 :19:00-20:00:
    講 師:調整中 定員50・要予約
二、戦国BAR :20:00-22:00:定員50・要予約
    入場料(飲食代込み)1500円
    『4.12第三章義から愛へ』前夜祭+諸国事情放談
三、夜営 :22:30-翌 朝:定員20 要予約
    『鳥羽や』または『清瀧』で朝飯は戦仕立て宿泊料は特価3500円!
    今回は、男女別 4人程度のの相部屋とさせていただきます。
四、実戦 :10:00-終 了:自由参加
    4.12義の旗のもとに第三章「義から愛へ」 (佐和山城址前広場)
[PR]
by machinoeki | 2009-03-16 16:54 | 「戦國丸」
<< 「くらしsafety~防災の現... 《談話室》 それぞれの彦根物語... >>