LLP(有限責任事業組合)ひこね街の駅 武櫓倶

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赤備え井伊隊追尾!五僧峠(島津越え)の道。

「島津の退き口」五僧峠(島津越え)の道

慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)日本史上最大の戦い!天下分け目の「関ヶ原の戦い」で、東西18万が対峙する中、絶好の位置に布陣し大群を率いた西軍の主力部隊の毛利、小早川隊らが日和見し傍観するなか、石田、宇喜田、小西、大谷各隊は、それでも奮戦し互角以上の戦いが続いた正午すぎ、小早川秀秋らが東軍に内応し(寝返り)攻撃を始めた為、ついに西軍は総崩れになり、敗走を始めた。戦いの勝敗がほぼ東軍の勝利に決する時、戦わず留まった島津隊は戦場に孤立した。1598年の朝鮮の役(泗川の戦い)では明軍4万の大軍を5千の兵で打ち破り、義弘率いる島津軍は「鬼石曼子(おにしまづ)」と呼ばれて恐れられた。そして僅か2年後のこの「関ヶ原の戦い」において又しても数万の大軍の中を敵中突破するという離れ業をすることになる。島津の退き口としてあまりにも有名です。f0017409_18453511.jpg
残念ながら今となっては想像するしかありませんが、この道筋を辿る時欠かせないのが近江犬上(現:彦根高宮)出身の小林新六郎と近江水口城主 長束正家に仕える甲賀衆の手引きに対する島津義弘から渡された「軍忠状」という感状です。
またその島津隊を最後まで猛追尾したのが、後の彦根藩主となる井伊直政率いる井伊の赤備え隊だったのも少なからず因縁を感じさせます。
直政は島津隊によりこの時受けた鉄砲の鉛毒により1年5ヶ月後の慶長7(1602)年2月1日に42歳の若さでこの世を去ります。

さて、無事薩摩に帰還したのち戦後処理で島津家は唯一敵方で所領安堵となります。その後徳川幕府となりましたが、島津家は代々参勤交代の道中には必ず道筋として中仙道を使い高宮の本陣に宿泊し、欠かさず小林家に謝辞に訪れるようになったと伝わっています。


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現代も鹿児島(薩摩)の伊集院町と多賀町との姉妹都市提携をはじめとして、島津越えの威徳をたたえようと伊集院町の小学生が昭和35年からこの退路をたどり、関ケ原から大阪までの120㎞を5日間で踏破する「関ケ原戦跡踏破隊」を組織して、毎年夏休みにこの道筋を辿っています。
400年の時を越えた今の世にも引き継がれ称えられている島津越え(五僧越え)です。


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時山(岐阜)側から五僧(近江)を望む・・・僅かに減った島津隊の希望と安堵の命の峠です。


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島津越え(五僧峠)は岐阜県上石津町時(地名)から滋賀県多賀町へ6里(24Km)、鈴鹿山脈の北部を越える旧街道です。中山道の南に平行するので、江戸時代には脇街道として、伊勢、美濃と近江の随一の近道として近江商人や炭焼き商人そして多賀、伊勢詣の人々で結構往来は多かった街道ですが、今は途中の山間の集落はほぼ廃村になってます。



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今は誰も住まなく廃村(昭和51年)になった保月(ほおづき)ですが、享保年間には91軒あり、その後も小・中学校、郵便局、派出所、神社、寺 等もあり周辺の集落から人が集まった。島津隊はここで暫く休息したと伝わっています。



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保月から杉坂(峠)そして八重練(多賀)に向かう晩秋の道・・・疲れきった島津の軍勢に小林新六郎はこの道で力強く励ましながら言った筈です・・「豊久様!多賀宮は、そして高宮はこの道のすぐ麓でございます」。 このあたりは冬場この先に3mの雪が積もっても、殆ど雪が積もらない不思議な坂といわれ「寒坂」と呼ばれていました。おそらく吹き抜けの風雪が相当強い所なのでしょう。

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切通しの峠のすぐ先に多賀大社の神木といわれる杉の大木4本、樹齢400年とある。この神木は彦根市内からも鍋尻山と高室山の2本の鉄塔の間に見ることが出来ます。ここから望む景色は絶景で遠く比良の山々や琵琶湖そして彦根市内が一望できます。
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by machinoeki | 2006-11-27 21:02 | 語りべウォーク&サイクリング

第五回「近江中世城跡琵琶湖一周のろし」駅伝


f0017409_8512536.gif第五回「近江中世城跡のろし駅伝」に、今年も花しょうぶ通り商店街、ひこね「街の駅」手作り甲冑隊は、彦根盛り上げ隊として「戦う女戦国武将!田附隊長」を旗頭に堂々と参加させていただきました。
例年は佐和山城跡から発煙筒を使ってのろし駅伝に参加していたのですが、今年は、国宝・彦根城築城400年祭の前年ということもあり、のろし駅伝の開会式を彦根城で行うことになりました。開会式は彦根城で行いますが、肝心ののろし駅伝は、佐和山城跡から例年のように発煙筒で発煙し、次の山崎山城へと繋ぎます。午前10時にスタートしたのろしは、45箇所の城跡を繋ぎ、ほぼ2時間で琵琶湖を一周します。

11月23日といえば、過去4年ののろし駅伝開催日で、前日まで雨でも当日は嘘のように晴れる!という日でした。
でも、予報と今現在(22日午後2時すぎ)の空模様では、いや~な予想が・・・・
せっかく、ここまでみんなの力を借りて準備ができたので、何が何でも、中溝理事長の「 勝ち鬨」の声を聞きたいものです。
せっかくのいと半のお饅頭も・・・・

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《日程は下記の通りです》

11月23日(祝日木曜日)
 7:50分集合場所 『山崎外科駐車場』
 ( 参加者は紫のリボン(入山が無料のしるし)を貰い車1台で向かいます)

 8:00出発⇒8:15(玄宮園横の桜場駐車場)   
      表門、彦根城博物館から天守閣に向かい登ります

 9:50 開会の辞:近江中世城跡保存団体連絡会 会長 泉 峰一
      のろし合図:藤田観光協会会長の発声
              中溝花しょうぶ通り商店街理事長の勝ち鬨
              のろし駅伝開始の気勢をあげる
                (エイエイ・オーを3回)

 10:00 佐和山城跡から次の山崎山城に向かい
      発炎筒でのろしを揚げる 

 10:30 後かたずけ下山
      (佐和山研究会の人達は最後ののろしを揚げに佐和山に向かう)
                  ↑
 琵琶湖を1周してきたという確認ののろしを上げて、無事閉会って運びになります。
 
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第五回「近江中世城跡琵琶湖一周のろし駅伝」は県内四十五カ所。

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 県下には中世の城跡が百三百カ所もあるといわれているが、その多くは地域の里山に人知れず埋もれている。今回の駅伝は、この城跡で「のろし」(煙)を上げて、リレー状につなぎ琵琶湖一周を行うイベントである。 今年は第五回をむかえ、彦根城の鉄砲隊の合図で佐和山城跡をスタートして時計回りで四十五カ所の城跡で行う。これを機会に地域の歴史遺産に目を向けまちづくりに活かすことを目的としている。



f0017409_9582514.jpgのろし駅伝の実施順番は、次の通り。
 ▽彦根城(彦根市)→佐和山城(同)→山崎山城(同)→勝楽寺城(甲良町)→観音寺城(安土町)→瓶割山城(東近江市)→雪野山城(同)→佐久良城(日野町)→鳥居平城(同)→西明禅寺(同)→音羽城(同)→頓宮山城(甲賀市)→佐治山城(同)→岡山城(同)→岩尾山城(同)→小川城(同)→北之庄城(近江八幡市)→

f0017409_1015557.jpg水茎岡山城(同)→南比良城(大津市)→打下城(高島市)→清水山城(同)→西山城(同)→伊井城(同)→田屋城(同)→竹生島沖(長浜市)→磯野山城(高月町)→賤ケ岳城(木之本町)→大岩山砦(余呉町)→行市山砦(同)→玄蕃尾城(同)→田上山城(木之本町)▽虎御前山城(虎姫町)▽小谷城(湖北町)→横山城(長浜市)→弥高寺、上平寺城(米原市)→長比城(同)→玉城山城(関ケ原町)→松尾山城(同)→八講師城(米原市)→鳥羽上城(長浜市)→日撫山・一ノ城(米原市)→地頭山城(同)→鎌刃城(同)→太尾山城(同)→磯山城(同)→長浜城・今浜城(長浜市)。

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昨日の天気予報は一体何だったんだろうというようなお天気に恵まれ、無事に「第5回のろし駅伝」を済ませることができました。
本当にみなさんのお陰です。ありがとうございました。
彦根城での開会式って言っても、私の頭の中では、まったく絵に描くことができず、どういう状況になるのか想像すらできなかったのですが、そんな不安もよそに素晴らしい開会式をみなさんの手で完成させていただきました。
タイムスケジュールが、思ってた以上にスムーズに進んで、佐和山の準備の方が追いつかない状況だったのですが、勝ち鬨のリハーサルまでしてくださって、うまく時間をつないでもらって、なんとか。藤田会長の「のろしを上げぃ~」(振り付き)と、中溝さんの「エイエイ」、みんなの「おぉ~」そして、佐和山から登る白いのろしの煙・・・・涙が出そうなほどでした。

たくさんの観光客の人たちも一緒に楽しんでくださって、ほんとよかったですね。
「今日、来てよかったわ」の声を聞いた時は、ほんとにうれしかったです。
中でも、いと半・小川さんの『井桁の赤い饅頭』は秀逸。お陰さまで、彦根城で『大一大万台吉まんじゅう』を大手を振ってふるまうことができましたっ!
「これで文句はないやろ」と、心の中で叫んでいましたよ。(笑)
彦根城での開会式の後、佐和山にも50個、用意してくださってたお饅頭を持って行ったのですが、あっという間に売り切れ。(青りんごのがヒットですわ)

佐和山には、長田さん、石田さん、そして甲冑姿のままで登ってくれた又城さん、ありがとうございました。小杉さん、竹内さん、連携プレーで単3乾電池を届けてくださってありがとうございました。(やっぱり、自転車ですかね・笑)

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甲冑姿・着流しの侍、みんな本当に素敵でした。
ありがとうございました。

佐和山城研究会・田附 清子






のろし駅伝参加者の方おつかれさんでした。
電池切れのため彦根城を登山中の雰囲気しか取れませんでした。
  YouTube
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=bhvZsXFl8m4
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by machinoeki | 2006-11-26 08:59 | 手作り甲冑実用講座

築城400年祭《談話室》 それぞれの彦根物語 2006.11.25

【彦根物語21】
 「商店街― 過去~現在~未来」

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木下 良蔵
(彦根商店街連盟会長)


彦根商店街連盟は昭和27年に活動を始め、この50数年の間に市内の商店街は、大きく変わりました。銀座商店街では、防災街区建築により近代化されるなど、他の商店街もアーケードを設置し横のデパートとして活況を呈していました。ゑびす講大売出しでは、今津から船が着くことや汽車に乗って駅から歩いて買い物に来るお客様で、まち全体が賑わっていました。繊維産業などを中心に彦根市全体が活気を帯びていたのです。しかし、住宅の開発や交通体系・消費の変化などによって、商店街の役割も変化してまいりました。
県外資本の大規模小売店舗などの影響もあり、商店街も大変厳しい状況となってまいりましたが、彦根の顔という認識の基に「み・わ・くのまち彦根」をめざし、各商店街が活性化事業に取り組んでいます。
花しょうぶ通り商店街の町家風の概観整備(ファサード整備事業)・ナイトバザール・勝負市・人力紙飛行機コンテストや銀座商店街のアーケード整備事業、あきんど祭、登り町グリーン通り商店街の欧風のファサード整備・店先カルチャー教室、おいでやす商店街の和風のファサード整備事業・おいでやす館の活用、彦根市場商店街(四番町スクエア)のまちなか再生型土地区画整理事業・大正ロマン風のファサード整備事業・駐車場整備、その他橋本商店街の空き店舗活用事業「よりーな」など数々の方策を講じています。

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橋本商店街アーケード完成式典テープカット









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彦根商店街連盟タウンミーティング











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小学生商い体験事業










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彦根七夕まつり・土曜夜市









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四番町スクエア(大正ロマン風のファサード整備)









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花しょうぶ通り商店街アートフェスタ勝負市










商店街連盟としても、売り出し事業や全市共通商品券の発行や彦根CPカードのポイント事業を実施し、消費者のみなさんにお得な事業を展開しています。
これまで、多くの先輩方が続けてこられた活動を現代に引継ぎ、彦根市をはじめとする行政や商工会議所の協力をいただきながら、今日を迎えています。
なによりもお客様のあたたかいご懇情に感謝し、今後も変わらぬご愛顧を賜りますことを願っております。

【キーワード】
彦根商店街連盟、ファサード整備事業、アーケード整備事業、空き店舗活用事業、全市共通商品券、彦根CPカードポイント事業
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by machinoeki | 2006-11-25 09:45 | 談話室「それぞれの彦根物語」

「ぶらっと彦根・まちナビシンポジウム2006」が開催されました

f0017409_20275492.gif『ぶらっと彦根・まちナビシンポジウム2006』
日 時:平成18年11月23日(木・祝日)10:00~
会 場:彦根商工会議所4階会議室(彦根市中央町3-8)
    &ひこね「街の駅」寺子屋力石(彦根市河原2丁目3-6)


【開催趣旨】
「あそび博」とは、自分だけが味わっている「それぞれの彦根物語」を紡いで、みんなで楽しむ「遊び博覧会」に進化させるものです。築城400年祭の協賛事業に採択され、来年本格的に実施します。今回は、事前一日試行として、4つの遊びを実施 第1部では、彦根を語る時に避けて通ることの出来ない「井伊直弼」に焦点を当て、彼の人となりを私人・公人の立場から解き明かし、掘り下げる機会になりました。また、第2部では、「それぞれの彦根物語」で話題とされた、彦根の新しい遊び方を現地でみなさんと体験しました。なお、本年度国土交通省から助成を受けた事業「まちナビ」の実証実験も同時に実施され、携帯電話を利用した最先端の技術にも触れました。この他、琵琶湖一周のろし駅伝および鉄砲演舞も同時協賛実施されました。
※ まちナビ」とは、ICタグを用いて観光情報、自然情報、商店情報、交通・宿泊情報などを携帯電話経由で提供する仕組みです。

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「ぶらっと彦根・まちナビシンポジウム2006」が、11月23日(祝・木)、彦根商工会議所、街の駅寺子屋力石、そして彦根市内にて開催されました。
「彦根あそび博」は、自分だけが味わっている『それぞれの彦根物語』を紡いで、「あそび博覧会」に進化させるもので、築城400年祭の協賛事業として、来年本格的に実施するものです。
第1部「彦根の歴史を学ぶ」では、産業共同研究センター山崎一真教授より、「プレ彦根あそび博」についてその目的等を説明され、また、彦根ユビキタス産業協議会が共に行う「携帯電話を利用した『まちナビ』実証実験」について、経済学部谷口伸一教授より説明がありました。
そして、京都女子大学の母利美和助教授には、「新史料で語る『井伊直弼』」というテーマで、井伊直弼の歴史的評価の変遷についてお話いただきました。参加者は、井伊直弼の新しい側面について熱心に聴きいっていました。
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【第1部】彦根の歴史を学ぶ    
講演1:プレ『彦根あそび博』で遊ぼう  
    山崎一真(NPO法人彦根景観フォーラム理事長、
         滋賀大学産業共同研究センター教授)
講演2:新史料で語る『井伊直弼』    
    母利美和(NPO法人彦根景観フォーラム理事、京都女子大学助教授)


第2部】プレ遊び博「彦根を遊ぼう」
■ 善利組屋敷界隈で遊ぼう 
現存する足軽屋敷の特別公開と、武家建築の特徴や生活を解説の他、復活を目指す湖東焼の魅力とこれに取り組む皆さんの努力に迫る。昔ながらの製法にこだわる湯葉に出会えるかも。
■ 脇街道・七曲がりで遊ぼう 
伝統的な町家建築の公開や新しい町家の住まい方などの解説や、七曲がり仏壇職人の技に触れてみませんか、七曲がり仏教書ギャラリ-(朝枝家)や花の生涯の舞台となった、袋町の料亭の見学も見応えあります。
■ 芹川堤・雨壺山で遊ぼう         
芹川堤と雨壷山の自然(植生)の魅力にふれてみましょう。彦根城築城以前の芹川堤、昔の雨壺山に思いをはせてみませんか。そして、芹川堤と雨壷山にすばらしい発見があるかもしれません。
■ 城郭・内曲輪で遊ぼう          
井伊直弼は、政治家としてばかりでなく、武芸はもとより、一流の文化人としても知られています。直弼の歌、茶道の他、新たな側面からの直弼像に迫ります。文化人『井伊直弼』のすばらしさを満喫してみませんか。

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第2部「彦根を遊ぼう」では、「それぞれの彦根物語」を紡いだ4つの遊び「善利組屋敷界隈で遊ぼう」「芹川堤・雨壺山で遊ぼう」「脇街道・七曲がりで遊ぼう」「城郭・内曲輪で遊ぼう」で、彦根の各地に出向き、様々な体験をとおして彦根をじっくりと味わいました。参加者は、3時間の「彦根あそび」をおおいに楽しみました。


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第3部「彦根を語る」は、街の駅寺子屋力石で「彦根を遊ぼう」のそれぞれの感想を語りあい、笑いばかりの楽しいひと時を過ごしました。
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by machinoeki | 2006-11-23 09:48 | 彦根景観フォーラム