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LLP(有限責任事業組合)ひこね街の駅 武櫓倶

カテゴリ:談話室「それぞれの彦根物語」( 107 )

それぞれの彦根物語61『「街の駅事業」の継続性について』

「街の駅事業」の継続性について

               姉崎 美奈 滋賀大学大学院経済学研究科経済学専攻2回生
                                       リポート by E・Hd0087325_1061.jpg 
 


今回のテーマは、私も含めて花しょうぶ通りに関心をもつ者には大変気になった。
 「寺子屋力石」と戦国ショップ「戦国丸」の事業継続について、滋賀大学の院生で、彦根景観フォーラムの学生会員でもある姉崎さんが論文発表をする。もし、継続は困難と言われたらどうしよう。
そんな不安と期待が入り混じった気持ちで参加した。


「街の駅」の立地条件
 結論から言えば、姉崎さんの研究は「街の駅」事業が続いてきた要因やメカニズムの研究であり、今後の事業の継続性の評価ではなかった。

 中心市街地商店街の活性化は全国各地で取り組まれてきたが、成功事例は多くない。
彦根の事例でみると、夢京橋キャッスルロードや四番町スクエアのように、通り全体をすべて造り替えて新しいインフラで客を呼び込むまちづくりは成功している。ただ、これには10年以上の長い歳月と数十億円の莫大な資金投下が行われていて、今後の経済状況を考えると、このようなまちづくりはこれからは困難といわざるを得ない。

 一方、花しょうぶ通りは、中心部から離れていて交通の便も悪く、道路も狭くて駐車場の確保もままならない商店街で、シャッターが目立つ銀座商店街や中央商店街と比べても明らかに立地条件が悪い。そんな商店街の空店舗活用事業として2005年に始まった「街の駅事業」が現在も継続していること自体が不思議であり、(事実、寺子屋力石では、街の駅事業以前に駄菓子屋、レコード店の経営が破綻している。)その原因を分析しようと思ったのが彼女の動機だった。

「街の駅」はなぜつぶれないのか
 姉崎さんは、「街の駅」の変遷を丁寧に追いかけて、そこにいくつかのメカニズムが働いているのを見いだし、事業継続につながる仮説として提示した。それは大学院の修士論文らしく学説に基づく難しい言葉で表現されていて、そのまま紹介するのはとても無理だ。
 そこで、超簡単に普通の言葉で表現することをお許し願いたい。
 要するに、普通なら潰れているはずの「街の駅」事業が潰れずに続いているのは、第1に、この事業が普通ではなく、その上にそれを運営する人たちも普通ではなかったこと、第2に、そこに集うお客さんも変わった人たちであったということだ。(身もふたもない言い方で申し訳ない)
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事業の特徴と人や組織の特徴
 第1の点では、この事業は、2005年10月にNPO彦根景観フォーラム主催の「商人塾」で始まっている。この塾では、商店街が生き残るには、どこでも買える物販から此処でなくては得られない「対個人サービス」への転換が必須だと商店街の人たちもNPO・大学関係者も認識した。
 そして、「それぞれの彦根物語」、地元大学まちなか研究室、花しょうぶ学舎、作家による趣味の教室、パソコン教室、手作り紙甲冑教室などが次々と開催され、寺子屋力石を舞台にいろいろな趣味や嗜好を持った人が情報を共有していった。そうした中で、偶然に訪れた人によって描かれたキャラクター「しまさこにゃん」に注目し、これをビジネスにするため有限事業責任組合(LLP)ひこね街の駅が結成されてゆく。

 この過程は、寺子屋力石という「場」で、人と人との間で様々な情報が共有され、次々と知識の結合を生み出し、コンテンツビジネスへ発展していったと見ることができる。特に、商店街と大学、NPO、マスコミ、市民などの共感を伴った話し合いが、暗黙知を形式知に転換し、形式知を暗黙知に転換するナレッジマネジメントのプロセスとなり、事業を育成するメカニズムとして働いた。

 さらに、結成された「LLPひこね街の駅」は、商店街の有志と大学関係者、NPOの有志、その他の様々な職業の有志がメンバーになっており、商店街メンバーのイベント開催などで培ってきた一体感と企画力、実践力と、大学やNPOのもつ科学的な分析力や専門知識、直感力などが組み合わさって、事業計画が立てられ、マネジメントされた。
 これは、姉崎さんによると、ミンツバーグのマネジメントモデルで示されている「クラフト」「サイエンス」「アート」の結合に相当するという。(クラフトが商店街、サイエンス、アートが大学・NPOに対応する)
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あたらしいもの好き達の役割
 第2のお客さんの視点からみると、どのような商品にもライフサイクルがあり、最初はごく少数の「あたらしもの好き」(イノベーター)が顧客となり、ついで「あたらしもの好き」を見ておもしろいと採用する初期採用者(オピニオン・リーダー)、さらに初期採用者を見て自分も採用する早期追随者(アーリー・マジョリティ)が生まれる。このイノベーターは全体の2.5%であり、オピニオンリーダーは13.5%、合わせて16%の普及ラインを超えると、あとは次々に普及するが、16%を超えないと失速してしまうという理論がある。

 街の駅事業のお客を分析すると、このイノベーターが重要な役割を果たしていると姉崎さんはいう。イノベーターは、人の先頭に立って新しいものを創ろうとする人であり、それらと新しいものに関心がつよい大学人やメディア関係者、歴史マニアが顧客となって事業を引っ張っていく現象がみられたという。ここでは事業の運営主体と顧客が一体化して商品やサービスの開発が行われ、1つが完成すると次々に新しい商品・新サービスの開発へと展開していくメカニズムが働き、事業が継続してきたという。(これを「主客同一発達仮説」と姉崎さんはいう。)


d0087325_19859.jpg「地域経営」につながる挑戦的な研究
 大変むずかしい理論を適用した事例研究で、本当に検証できているのか発表からだけでは伺い知ることができない。また、一例だけの研究では不十分と言われるかもしれない。
 しかし、まちづくりの本質に新しい光を当てた挑戦的な研究であることは確かだ。
 また、私たちが街の駅の活動を客観的に振り返る重要な視点を示してくれたことに、心から感謝したい。

 最近、「地域経営」という言葉が盛んに用いられている。経営学でよく知られているドラッカーは、GMなどの企業経営を観察して「マネジメント」の概念を提示した。その後、大学や病院、教会などの非営利組織(NPO)の経営についても観察し「非営利組織のマネジメント」という著作を1990年に発刊している。
 彼が、もし生きていて、多様な主体を取り込んだ「地域経営」という言葉を聞いたら、どのような見解を示しただろうかとふと思った。(By E.H) 
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by machinoeki | 2009-05-08 22:35 | 談話室「それぞれの彦根物語」

のそれぞれの彦根物語60「夢ある街づくりと安心とやすらぎの生活空間づくり」

夢ある街づくりと安心とやすらぎの生活空間づくり
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泉 藤博 (センチュリー21 ㈱イズミ代表取締役)


3月のそれぞれの彦根物語は、花しょうぶ通りとその東に新しく作られる近江鉄道芹橋駅をめぐる話題で構成されている。
 1回目は、芹橋新駅周辺で住宅開発を進めている㈱イズミの社長 泉 藤博さんが、活発に進む彦根のニュータウン開発について語った。                                                                                    リポート by E・H

創業物語と経営プロセス
 泉さんは、言葉と同時に体が動く。
 住宅の陽当たりを確保するためには住宅と住宅の間をどの程度あければいいのかを全身で表現する。それが少しも奇異に感じられない。事業への情熱が言葉と体の両方を同時に動かしているようだ。

 泉さんが平成3年に創業した(株)イズミは、彦根地区で500区画の住宅開発と約1000戸のアパート・マンションの賃貸管理、売買仲介などを手がけてきた。
 彼は、農家に生まれ、働きながら大学に通い公認会計士をめざすが失敗、地方銀行に就職し、融資でトップの成績を上げる。ここで身につけた「人を見る目、事業を見る目」を生かして不動産業を創業、バブルの波にのって会社は急成長、その後も巧みな情勢判断で業績は順調に伸びる。しかし、自身はゴルフにはまり、経営は部下任せになりナンバー2に主要スタッフもろとも逃げられ、危機に直面する。ここで、幼少の頃からの思い出や教訓を振り返り、自らの生き方を規定した「創業の精神」「経営理念」「社訓」を作り上げ、再出発する。

 その語り口は、いかにも創業者らしい情熱に満ちており、彼自身の心、技、体と事業が一体化した面白い物語になっているが、冷静に見ると、自分で考え行動する人が、機会を捉えて挑戦し、失敗し、経験に学びつつ考えや行動を修正して、成功を呼び寄せた緻密なプロセスが見えてくる。
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彦根のニュータウン開発
 泉さんの手がけた住宅開発で最大のものが、旧カネボウ彦根工場跡地に284区画の住宅を建設する「エクセレントヒルズ彦根」だ。彦根では売却された近江絹糸工場跡地に大型商業施設が進出し、市内の商業団体から反対運動が起こった。このため、産業再生機構が取得したカネボウ跡地の売却入札が成立するか危ぶまれていたが、結局、地元の(株)イズミが25億円で引き受けることとなった。

 泉さんには勝算があった。団塊ジュニアの30歳~36歳世代が子供が大きくなり一戸建てを持ちたいと望んでいた。そこで、この世代が求める住宅コンセプトを打ち出した。一つは「安全・安心」だ。万一の洪水被害を考慮して1m以上の土盛りをした。また、警備保障会社と契約し、全戸に防火・防犯の警報システムを、個別に契約する価格の3割で設置した。第二に、全区画に幅2.5mの遊歩道をつけ見通しと陽当たりを確保した。これらが人気になって全区画が完売した。

 注目すべきは、ニュータウンに入居した人たちの出身地だ。
 彦根市内の人が約50%、長浜・湖北・犬上郡の人が30%、県外が20%で、県南部の人はほとんどない。つまり、若い世代は北部から南部へ、農山村部や旧市街地から都市郊外のニュータウンへと動いている。彦根も含めた県北部全体の人口は静止しているから、空洞化は北部の農村・山村、旧市街地で進行し、その地域では高齢化率も急速に上昇しているのだ。
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ニュータウン観察のすすめ
 ニュータウンはその時代を映す「鏡」といってもよい。

 第二次世界大戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代が親になった昭和40年代に出現したニュータウンは、人口爆発と高度経済成長、アメリカ型の大衆社会、個人の自由と核家族をよしとする価値観を表現した重要な現象だった。

 さらに、400年前には、日本各地でニュータウンとして近世城下町が誕生した。全国各地で都市や町の成立400年祭が開かれているように、東京も含めてほとんどの都市の原型が400年前に形成されたのだ。その中で、彦根は近世ニュータウンの典型として高い評価を受けている。それは、近世の武士封じ込めに代表される統治理念と経済力の集中を意図したニュータウンづくりを最もよく反映しているからだ。

 その目で、現代のニュータウンを見てみると、比較的広い区画にさまざまな形の住宅が建ち、2台以上の自家用車がその前に鎮座し、若い夫婦と子供が住みながら、どことなく寂しい印象を受ける。かつてのニュータウンが示していたような時代を象徴する新しい価値観があるようには私には思えない。古さは一切拒絶されているが、ウィークディの昼間は人の気配がなく田園部や旧市街地と本質的に変わらない。
世代住み分けの典型であるニュータウンでも、やはり「人によって人が育つ」まちづくりが必要だと思う。
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地元彦根に対する念い(おもい)
 泉さんは、「彦根には活気がない」という。滋賀県でも人口が増えているのは南部であり、彦根は大規模な開発によって人口増を図る必要があるという。具体的には、彦根城に加えて佐和山を観光開発し多くの人を呼ぶこと、彦根市の環状道路を整備し交通の便を良くして市街地の再開発を促進すること、周辺農地の開発規制を緩和して都市化することが必要という。
 私は賛成しないし実現可能とも思わないが、こうした考えが多くの市民や政治家、行政、企業人に支持されていることは事実だ。

 一方、ニュータウンとは裏腹の関係にある旧市街中心部に空家や空店舗が増え、店舗が撤退した跡に大きな空地が目立っている地域の再開発をどう考えるかという質問に対して、今の住宅需要は自動車の利用が前提になっており、車のすれ違いも困難な地区の住宅開発は、いかに地価が下がっても売れない、解決は民間では無理だと泉さんは答えた。

「減自家用車」・「減築」の時代
 では、行政の大規模な区画整理事業以外にどうしようもないのだろうか。

 問題の大きなポイントは「自家用車」である。
 ここで、コーディネーターの山崎教授が、都市計画の歴史を総括された。数年前まで、中心市街地の活性化は道路と駐車場を整備して郊外大型店と同じように自動車で買い物をする客に来られるようにしようとしたが、結局失敗した。そして新まちづくり3法が成立し、コンパクトシティをめざすこととなった。これは、歩くことを基本にバスなどの公共交通を整備し、病院や役所なども中心部に移転して移動距離を少なくするまちづくりをしようとするもので、青森や富山で取り組まれている。だが、理想は描かれているものの、まだ実現にはほど遠い。解決は簡単ではなく、ヨーロッパでは、インナーシティ問題として30年近く苦しんできて、近年のLRT(低床路面電車)導入や中心市街地への乗入税などにつながっている。

 もう一つは、住宅の「質」の問題である。
 実は住宅の供給量は需要を上回っている。ただ、高齢世代で空間が余り、若い子育て世代では空間が不足している。さらに高齢世代では古い住宅が多く空間の質が低い。そこで、手を加えて質を上げるとともに、若い世代に置き直す「コンバージョン」が必要となっている。つまり、高齢世代の住宅を様々な手法で「減築」し、若い世代に貸したり譲渡したりすることで空間を豊かに活用し、多様な世代からなる地域社会を維持・再生しようとする試みである。

 「減自家用車」問題にせよ「減築」問題にせよ、原理はもっともだが、実現にはさまざまな困難があり、手法の実験と長い時間が必要だ。そして、失敗に学びつつ、考えや行動を修正し、徐々に実現に結びつけていくプロセスが不可避である。それは泉さんが今日語ってくれた経営の極意と同じなのだ。 (by E.H)
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by machinoeki | 2009-05-08 22:20 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》 それぞれの彦根物語 2009.2.21

【彦根物語59】
「報道記者から見た滋賀の政治」   

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山田 修
(元びわ湖放送記者、
 龍谷大学REC 講師)


 これまでの談話室のテーマとしては異色であり、つたない話にもかかわらず、皆さん熱心
に聞いてくださり、ありがとうございました。
 私がびわ湖放送に勤めていた1972 年~2000 年は滋賀の政治に様々な事件や出来事が生ま
れ、今から見てみますと、大変面白い政治が行なわれていた時期です。
 滋賀の政治のキーマンは湖国初の総理となった宇野宗佑氏ではなく、滋賀県知事から官房
長官、大蔵大臣を歴任した武村正義氏でした。
武村知事は企業と真っ向から対立し、粉石けん運動を展開し、環境県滋賀のイメージを確
立しました。
 滋賀自民党は全野党共闘で当選した武村氏が自民党に転進し、武村、宇野、山下(元利)
の三大派閥に色分けされ、三氏とも県外の中央でも活躍しました。一方、革新側も労組に支
えられた社会や民社両党も全国に先駆けた独自性を発揮し、滋賀の議員が連合参議院の中心
的存在となりました。共産党も5期連続で衆院選に当選、公明党も武村県政を支え、存在感
を示しました。
 政治不信が充満している今、滋賀の政治が元気だった2000 年までの4 半世紀をふりかえり、
特に若い人たちに政治への関心を高め、政治に対して何をなすべきか、考えてほしいと願い
ます。


【キーワード】
・キーマンは武村正義氏
・武村、宇野、山下の三大派閥
・社会、民社両党を支えた労組の存在感 
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by machinoeki | 2009-03-06 17:07 | 談話室「それぞれの彦根物語」

街の駅寺子屋力石『それぞれの彦根物語』3月号

■■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■

   ひこね街の駅「寺子屋力石」 
       《談話室》『それぞれの彦根物語』3月号

■□━━━━━2009/2/ 26/ [転送大歓迎です]━■□■■■ 


来週からは早くも三月!いよいよ春ですね~。
近年は暖冬つづきですが今年は特に桜の開花は早いと予報が出ているようです。
ところで、最近大河ドラマ「天地人」の好影響もあり、全国からの若い歴女さんを中心に「戦國丸」も大いに盛り上がっています。
お伝えしたとおり、今度の日曜日3/1には戦國丸では戦國丸らしい古式豊かな結婚式も行います。なんと!テレビ朝日が遥々東京からその祝宴を取材に来るんですよ~!

そして詳細に関しては今後決定発表しますが・・
4/12(日)には、義の旗のもとに~「第三章 義から愛へ!」も、昨秋と同じ佐和山城址「龍譚寺前」広場での開催がほぼ決定しました!!!

今回はナントナント!米沢から「天地人」で人気のキャラクター「かねたん」とその大河ドラマ「天地人」の時代考証を担当された「小和田哲男」氏が来場してくださいます♪
きっと面白いエピソードや熱く楽しい夢の再会劇を見せてくれることでしょう♪
大いに期待しましょうね!!

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その前に、弥生3月ひこね街の駅で開催される談話室『それぞれの彦根物語』のご案内です!
こちらもなんと!第60回を迎えました!彦根の達人達との出会いが大きな力を育てる源ですが、世の中それぞれがそれぞれの形でがんばっておられます!日本も彦根も未来は決して暗くはありませんナー


【彦根物語60】 
平成21 年3 月 14 日(土)10:30~12:00


「夢ある街づくりと安心とやすらぎの生活空間づくり」
泉 藤博 (センチュリー21株式会社イズミ 代表取締役)

(平成3年に創業し、その後彦根エリアで住宅開発区画数500 区画の開発事業及びアパート・
マンション管理戸数約1000 戸を行ってきました。歴史ある彦根の街でその文化を大切にしなが
ら、そこに生活されている人たちが安心とやすらぎ感を求め、安住出来る街並み創りのコンセ
プトをお話したいと思います。)

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【彦根物語61】 
平成21 年3 月21 日(土)10:30~12:00


 「『街の駅事業』の継続性について」 
姉崎 美奈(滋賀大学大学院経済学研究科経済学専攻2回生) 


(2005 年10 月に開業されて以来多くの来訪者を迎えてきた「街の駅事業」の継続性について
論文にまとめました。研究発表の場として皆さんに聞いていただけたらと思います。)

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【彦根物語62】 
平成21 年3 月28 日(土)10:30~12:00


 「現在の地方鉄道について」
高木 久次 (近江鉄道株式会社 鉄道部部長)

(近年おおよその都市と地域において、公共交通の利用者は減少傾向にあり、公共交通の「移動」を確保するためには多数の人達が自発的に行動を変化していただく必要がある。そのためにどうすればいいか一緒に考えていきたい。)

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by machinoeki | 2009-02-26 21:07 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》 それぞれの彦根物語 2009.2.14

【彦根物語58】
「『彦根リキシャ』にかける夢」
 
 

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竹内 洋行
(「彦根リキシャ」
  開発プロジェクト)



 「彦根リキシャ」は彦根製の和風自転車タクシーです。最近新聞やヤフーのトピックスでも取り上げられ注目していただいております。「彦根に似合う物を、彦根の者の手で作り、彦根で走らせよう」と言うコンセプトのもと、市民と大学と職人が作りました。

 そもそもリキシャとの付き合いは長く、素人作りですが2003年頃から「ひこね自転車生活をすすめる会」の啓発イベントなどで、廃棄自転車のフレームを組み合わせ椅子と屋根をつけて走り始めていました。年に一作以上のペースで作り続け、2007年に6作目をえびす講で走らせていました。「自転車を作ってみたい」「クルマに代わる、人も荷物も運べる人力のクルマが作りたい」と言う気持ちが根底にありました。

 そんな中、彦根で活躍される各方面の方と知り合いになり、彦根の町並みに似合う乗り物を作って走らせようとグループが出来ました。グループは面白い構成で、一つが職業も年齢もばらばらで、でも楽しく汗を流す市民たち。もう一つが大学で、滋賀県立大学の印南研究室を中心に、コーディネートから職人手伝いまでこなす頼もしい面々。最後が職人さんで、自分の職域を越え、コラボレートすることでより良いものを作ろうという意欲的な面々です。

 今後はプロジェクト一号機の今春営業運行開始を果たし、より「あたりまえの足」となるより軽快な二号機の開発を進めたいと考えております。また「地元の身近な運転手さん」を皆さんにおすすめしようと思っております。楽しい仕事です。あなたもいかがですか?


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【キーワード】
彦根リキシャ、自転車タクシー、和風、伝統工芸、職人、大学、市民、夢
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by machinoeki | 2009-02-25 17:12 | 談話室「それぞれの彦根物語」

それぞれの彦根物語「彦根リキシャにかける夢」

彦根リキシャにかける夢
                 彦根リキシャ開発プロジェクト委員 竹内洋行  2009/02/14
                                          リポート by E・H

 「彦根の町に似合う、彦根で作る、彦根で走る」をコンセプトに開発された自転車タクシー「彦根リキシャ」が、いよいよ3月1日から営業運行を開始する。
 「彦根リキシャ」には、開発プロジェクト委員の竹内洋行さんの夢と人生の出会いがいっぱい詰まっている。
それだけではない。実際にリキシャに乗ってみると自然に笑顔になり、町を歩く人に手を振りたくなる。今回の彦根物語では、そんな未来の可能性を感じることができた。

竹内さんの生き方
d0087325_15141975.jpg 竹内さんは、花しょうぶ商店街の中ほどにある小さな店「エコスタイル自転車店」の店主だ。寺子屋力石にも、戦国丸にも近い。
 彼は、元々自動車のシートベルト関連部品を製造する会社に勤めていた。ものづくりが好きで、部品の開発にも参加し、毎日が楽しかったという。ところが、安定した収入があり働き甲斐もある会社を辞めて、小さなリサイクル自転車店をはじめた。
 「一体、なぜなんだろう」とずっと疑問だったので、思い切って聞いてみた。
 「子どもに、お父さんの仕事はなに?と聞かれたら、自信をもって答えられないでしょう。子どもに自信をもって語れる。それが私の生きる基準です。」
 一瞬、何のことか解からなかった。
 彼は、自動車は環境に良くない。環境に悪いことをしていては子どもに胸をはれないと言っていたのだ。おどろき、そして彼らしいと思った。彼は、寺子屋力石で週1回、滋賀大学の学生達と一緒に、家に帰ってもテレビゲームをするしかない小学生たちを集めて、みんなで遊んだり宿題をしたりしているのだ。
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自転車の世界へ 
 「人力」で「ヒト」も「荷物」も運ぶ。「クルマ」では当たり前の世界を、自転車で「簡単に」「あたりまえに」実現したい。竹内さんは2003年から毎年のように試作に挑戦した。d0087325_1521789.jpg
 試作1号は、2台の中古自転車のフレームを横につなぎ椅子を取り付け、後ろ向きに2人を乗せるものだった。その後、低重心オープンタイプ、シンプル椅子型、幅800mmの箱型、幅狭子ども用、鉄枠板張り部屋型と2007年までに5台の試作車を作る。
 この間、彦根城築城400年祭の市民プロジェクトとして江戸時代の彦根藩士が発明した世界最古の自転車「陸舟奔車」の再現にも参加、多くの仲間達に出会った。


彦根リキシャへの道
  「陸舟奔車」の製作過程で出会った料亭経営者やボランティアの主婦、OL、デザイナーとその卵、地場産業である彦根仏壇の職人、漆芸家、蒔絵師、滋賀県立大学のプロダクトデザイン研究室の印南先生と学生達、高校の美術教師、プロのおもしろ自転車製作者やオリジナル原付製作者たちが集まって、2008年3月、「彦根リキシャ開発プロジェクト」がスタートする。d0087325_152241.jpg

 彦根では、すでにベロタクシーが導入され、竹内さんもドライバーとして活躍していたが、ドイツ製で部品の供給に課題があった。また、卵形の斬新なデザインも彦根の町の風景には似合わないと感じられた。「彦根の町に似合う、彦根で作る、彦根で走る」が開発コンセプトになった。
 特に県立大学の研究室の参加により、デザインコンセプトが徹底的に詰められた。彦根をイメージする言葉を大量に集め、マトリックスで整理してデザイン要素に展開していく手法が竹内さんには新鮮だった。その成果はコンセプト・カーに結晶するが、大きすぎて宴会ができたほどだった。

 ここから、設計、製作(鉄と大工と伝統工芸)、調整と時間がかかり、11月の環境ビジネスメッセのお披露目の当日朝まで徹夜で製作が続いた。
 こうして、総重量150kg、全長3.8m、高さ2mの彦根リキシャが完成し、各地のイベントに出展。秋篠宮殿下もお乗りになったという。直接制作費は約150万円だった。

彦根リキシャのディテール  
 実際にリキシャに乗せてもらった。d0087325_15242469.jpg
 銅版で葺いた唐破風の屋根と頑丈なケヤキの柱、釘を使わない伝統建築の木組みに、「ふきうるし」の漆塗りと蒔絵の彦根仏壇の技法を施した「重厚さ」。座面の畳地や編み天井は茶室の「簡素さ」。ドライバーの法被(はっぴ)や車体に蒔絵で描かれたリキシャの炎のエンブレムは「遊び心」。楽しい発見がいくつもある。

 重い車体の安定した乗り心地は極めて上質だ。
そのうえ、意外にも軽快に走る。走り出すと、路面から町なみ、大空までが視野の中で動き出し、全身にそよ風を感じ爽快な気分になる。思わず笑顔になり、歩いている人に手を振ってしまう。

 走ってくる姿は牛車に似ていてどこか祭を連想させる。走り去る後姿も、なかなか素敵だ。漆塗りの車体の深く渋い色と古い街なみの暗い色が溶け合って、毛氈の緋色が際立つ。
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リキシャの可能性
 「彦根リキシャ」は最高級のフラグシップモデルだ。豪華で楽しい。速く走るのではなく楽しく走る。「クルマ」で歩行者に手を振る人はもはやいないが、リキシャなら歩く人と心が通い合う。ぜひとも観光で成功してほしい。

 竹内さんの夢は、さらに広がる。より軽快で使い勝手の良い安価な普及型を製作し、みんなに使ってもらいたい。人も荷物も運べる「あたりまえの足」にしたいのだ。d0087325_15311969.jpg
 もし、普及版リキシャが完成したら、観光とあわせて会員制のコミュニティ・タクシーができないだろうか。彦根の狭い路地は軽自動車がぎりぎり直進できる幅しかなく、足の悪い高齢者の通院や大きな荷物の搬送に不便が生じている。高齢化の進展でクルマを運転したくない人も増えてくる。リキシャなら、人にも環境にもやさしい。だれでも運転できそうだ。

 「クルマ」の問題は私たちにとって最も悩ましいものだが、「歩く」と「クルマ」の間に「リキシャ」が入ると暮らしも社会も大きく変わる予感がする。環境にやさしい、持続可能な社会の具体的な姿が見えてくる。

新しいベンチャー 
 私の目には竹内さんはベンチャー、それも社会起業家に見える。また、彦根リキシャの開発プロジェクトは、新しい地域ビジネスが生まれる過程を示唆してくれている。だが、ビジネスとしては入り口に立った段階だ。成功するかどうかは、これからにかかっている。

 彦根リキシャは、3月1日10時から滋賀大学彦根キャンパスで行われる「開国フェスタ」で出発式をした後、花しょうぶ通りにある戦国丸で結婚式を挙げる新郎・新婦を彦根城から戦国丸まで送迎する。華やかなデビュー・パレードだ。私も沿道で若い二人と竹内さんとリキシャの未来にエールを送りたい。  (By E.H)

※リキシャでのパレードは運行許可が間に合わず出来なくなりました。
 戦國丸前での写真撮影のみとなりました。悪しからずご了承下さい

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by machinoeki | 2009-02-23 17:52 | 談話室「それぞれの彦根物語」

『それぞれの彦根物語』2月号

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   ひこね街の駅「寺子屋力石」 
       《談話室》『それぞれの彦根物語』2月号
              &第3回【辻番所サロン・芹橋生活】
■□━━━━━━2009/2/ 11/ [転送大歓迎です]━■□■■■ 
 

「勝手に関西世界遺産」の新聞記事や滋賀県企業組合団体の情報誌の県内先進事例に紹介されたことなどから、最近は関西方面からの視察依頼が多くなりました。
そんな時感じるのは、『それぞれの彦根物語』を通じて出会った方々・・
人生を大いに楽しみながら暮らしておられる彦根の達人たちとのつながりが、貧乏でとても小さな商店街であっても、いろんな事が実現する源になっている事に・・改めて出会いに感謝!の実感です。
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f0017409_18474564.jpgf0017409_18475925.jpgところで多賀里の駅一圓屋敷の雛人形を土曜日からお借りしてひこね街の駅力石で展示させていただいています。
大庄屋の立派なお雛様を、町屋に伝わるの小さな屏風で引き立てて見事な里と街のコラボが通りから見られます。
是非談話室にてこちらもご覧下さい!

◆NPO法人彦根景観フォーラムでは、ひこね街の駅「寺子屋力石」で、土曜日の午前中に、《談話室》を開いています。
◆「それぞれの彦根物語」を話の種に、みんなで語り合い、彦根での楽しみごとを共有し、より充実した生活につなげようという企画です。


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【彦根物語58】平成21年2月14日(土)10:30~12:00
 「彦根リキシャにかける夢」
      竹内 洋行
 (LLPひこね街の駅委員,彦根リキシャプロジェクト委員)


『彦根リキシャとは彦根製のオリジナル自転車タクシーです。
日本の町並みに似合う車体を地域に根ざす人々の技と力で作りました。
箱型のキャビンをリヤカーのように自転車で牽引して走ります。
今回は製作の意図と夢を語ります。』

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f0017409_1328778.gif【彦根物語59】平成21年2月 21日(土)10:30~12:00
 「報道記者が見た滋賀の政治」   
   山田 修
(元BBCびわ湖放送記者)


『滋賀県の1970年代から2000年にかけての4半世紀の政治は様々な出来事が起きた時代でした。滋賀の政治を振り返ることで政治を良くするきっかけについて共に考えたい。』


コーディネータ:山崎 一眞
 (NPO法人彦根景観フォーラム理事長、滋賀大学産業共同研究センター教授)



【会 場】街の駅「寺子屋力石」
(彦根市河原2丁目3-6 花しょうぶ通り TEL:0749-27-2810)


【辻番所サロン・芹橋生活3】 平成21年2月15日(日)10:30~12:00
「芹橋足軽組の居住配置の復元」
           渡辺 恒一(彦根城博物館学芸員)


 組を単位として組織され形成されたといわれる善利組足軽屋敷ですが、どのような配置になっていたのでしょうか。 辻番所の位置や複雑な住居の配置など謎が多い「組屋敷」の配置について話していただきます。
 江戸時代の絵図と城下町の町割(街路)がしっかりと残っている彦根ならではの居住配置の復元にご期待ください。

会場:彦根市芹橋二丁目 辻番所・足軽屋敷
定員:30名   ※暖房費 100円
主催:NPO法人彦根景観フォーラム、彦根辻番所の会
※駐車場はありません。駐輪場は利用していただけます。

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●《談話室》「それぞれの彦根物語」は大変好評ですので、地域活性化に
寄与する「彦根」をテーマとした語り部事業として引き続き継続していきます。
〔話し手〕として〔聞き手〕として、ドシドシご参加下さい。


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《談話室》では、どなたでも〔話し手〕になれます。
自薦、他薦を問いません。下記要領でお申込み下さい。
〔話し手〕の申込事項     
1.テーマ 2.概略 3.氏名 4.住所 5.電話番号
e-mail jrc@biwako.shiga-u.ac.jp 迄
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【お知らせ】
下記ホームページにて、一昨年5月から始まりました《談話室》「それぞれの彦根物語」のレポートを公開していますので、ご覧ください。  

滋賀大学産業共同研究センター
     http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/jrc/
滋賀大学地域連携センター
     http://www.shiga-u.ac.jp/main.cgi?c=9/9:0
NPO法人彦根景観フォーラム ブログ
     http://hikonekeik.exblog.jp/

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主 催:NPO法人彦根景観フォーラム
共 催:滋賀大学産業共同研究センター、滋賀大学地域連携センター

参加費無料  ※定員:30名

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滋賀大学産業共同研究センター
522-8522 彦根市馬場1-1-1
e-mail jrc@biwako.shiga-u.ac.jp
Tel 0749-27-1141/Fax 0749-27-1431
LLP(有限責任事業組合)ひこね街の駅
522-0083 滋賀県彦根市河原2丁目3-6
E-Mail:436@machinoeki.info
TEL:27-2810「力石」/27-5058「戦國丸」

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by machinoeki | 2009-02-11 13:34 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》 それぞれの彦根物語 2008.4.19

【彦根物語43】
  「佐和山一夜城復元プロジェクト」   

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和田 一繁
(彦根商工会議所 青年部会長)



彦根商工会議所青年部(呼称 彦根YEG)は、2007年3月21日より11月25日250日間開催された国宝・彦根城築城400年祭の主催事業の一環として、佐和山一夜城復元プロジェクト行い 一夜城として佐和山山麓 に天守を模擬復元し(高さ約18m×横約13m)2つの名城に囲まれた彦根をアピールいたしました。

なぜ彦根城じゃなく佐和山城なのか?まず原点に戻ろうと、彦根初代・藩主井伊直政が最初に入城したのが佐和山城であります。
この佐和山の地から彦根藩が始まり戦国の世に彦根で落城した佐和山城、そして落城後築城された彦根城、この二城にスポットを当て、佐和山に天守を模擬復元し、期間中、二つの名城に囲まれた彦根をアピールしました。全国各地より、彦根佐和山の地に来ていただき歴史のロマンを感じていただいたと思います。
この佐和山一夜城をきっかけに、彦根のまち全体が更に元気になり彦根城や佐和山城、井伊家、石田三成等の誇れる歴史文化、人物の価値を、次世代につなげ伝承していく事が、この事業を通じて果たすべき我々の役目でありました。

またこの事業を通じて、彦根城だけではなく、彦根の新しい観光資源ツールを青年部として活用し地域活性化につなげて行きたい。
行政、市民の中で彦根YEGの存在価値を少しでも明確にし、共に彦根が更に元気になる事を考えた提案を増やしていきたい。

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by machinoeki | 2009-01-15 11:06 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》 それぞれの彦根物語 2008.5.17

【彦根物語45】
  「彦根には素晴らしいモノがありました―彦根まちなか博物館」

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安達 昇
(彦根商工会議所 中小企業相談所次長)





国宝・彦根城築城400年祭事業は、過去の失敗?ハコものでなく、イベントだけでなく、持続可能なテストケースとしてサスティナブルな事業を提案・実行したいという経済界からの提案であった。
「再発見と新創造」<Re-Discovery & New-Creation>をテーマに事業提案をした。中でも日本が誇るべき文化財としての彦根城と共に彦根の埋もれたお宝に着目した「彦根まちなか博物館」は、多くの市民に感動と参画を与えたことと思う。
明治の3大書家「日下部鳴鶴」・明治創設の私鉄電車「近江鉄道」・明治・大正のチラシ「彦根の引き札」・全国の郷土玩具収集家「高橋狗佛」のコレクションを一堂に展示することができた。
しかも市民参画という点で主婦・学生・公務員・社長などから構成する「カリスマ学芸員」の協力が成功へと導かれた。
また、各コレクションに関する業界協力者の存在も忘れてはならない。多くの人々と共に実現した「彦根まちなか博物館」は、今も夢京橋あかり館2階ギャラリーで継続されている。おもてなしの原点「一期一会」が彦根には、脈々と受け継がれている。

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【キーワード】
1.彦根まちなか博物館
2.カリスマ学芸員
3.国宝・彦根城築城400祭
4.再発見と新創造
5.日下部鳴鶴
6.近江鉄道
7.高橋狗佛
8.引き札
9.持続可能
10.一期一会
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by machinoeki | 2009-01-15 11:05 | 談話室「それぞれの彦根物語」

彦根景観フォーラムの400年祭(2)

それぞれの彦根物語57
彦根景観フォーラムの400年祭(2) 
                                 2008.12.20 リポート by E・H


  「それぞれの彦根物語」は、彦根景観フォーラムが寺子屋力石で2006年5月13日に開催して以来、今回で58回目を迎えた。この日は、「彦根景観フォーラムの400年祭」の第2回目として、56回までの「それぞれの彦根物語」を振り返る試みが行われた。


語り部達の「それぞれの彦根物語」 
 配られたリストには56回の語り部とテーマが、歴史、文化、自然、建築、観光、400年祭と大きく分けられ、さらに歴史は井伊直弼、江戸期、製糸産業、パーソンズなどに、文化は絵と写真、教養、体験、ボランティアに、観光は女将、経営、商店街、新コースに、400年祭は催しとサポートと分けられていた。その区分に従って、コーディネーターが各回の語り部と内容を1枚にまとめたスライドを紹介し、みんなで思い出や感想を語り合った。

 語り部ご自身もかなり参加されており、「わくわくして発表の準備をした」、「勉強が楽しかったのは生まれて初めて」、「発表予定者が病気で急遽ピンチヒッターにたった」など発表までの苦労話(?)や思いがけない後日談が飛び出して、会場は大いに盛り上がった。
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篤姫と井伊直弼  「それぞれの彦根物語」の楽しみ方
 語り部とテーマ、参加者の話などはあまりにも多いので省略するが、私にとって、56回の「それぞれの彦根物語」は、すべてが新鮮だった。

 第1回目の滋賀大学の阿部先生の話から感嘆させられた。「その後の直弼:20世紀に生きた郷土の偉人」というユニークなテーマで、井伊直弼に「開国の英傑」と「天皇に背き反対派を弾圧した暴君」という正反対の評価を向けた20世紀日本社会を照らし出すという試みで、大胆な発想に感心した。
 今年はテレビドラマ「篤姫」で井伊直弼が篤姫と茶席で語る場面があり、今の時代を照らす鏡としての直弼像が見られて大変おもしろかった。歴史は今を照らす鏡だと気づいた。これも「それぞれの彦根物語」のおかげだ。


私の「それぞれの彦根物語」 
  「それぞれの彦根物語」によって、彦根の秘められた歴史や自然、魅力的な人物や市民活動についての知見が増えただけではない。私にとっては、自分の感性が徐々に磨かれていった実感がうれしい。芹川のケヤキ並木や小さな花の美しさに気づき、素晴らしい画家や音楽家、建築家、文学者、経営者や若い起業家、学生達やボランティアの人たちの思いにふれて、町の息づかいや流れる空気、自然の奥深さに心が開いていくような感覚を味わうことができた。

 世界が変わったのではない。自分が変わったのである。多くの素晴らしい語り部に接することから私が得たものは、「見える化」と「自分化」というキーワードだ。見えないものを見えるように表現すること、そして自分に思い切り引き寄せて考えることが大切と思うようになった。
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「それぞれの彦根物語」で得たもの  
  「まちなかギャラリー実働80日」の語り部、角さんが述べられた感想が印象的だった。
 角さんは普通の市民だ。定年退職後何かしたいと思い、妻の父が残した絵と彦根の画家達のコレクションを展示してみたらどうかと思い立つ。そして、「それぞれの彦根物語」に参加して頑張っている人達を知り、自分の思いを話してみた。すると、たちまち賛成してくれて励まされ、自分が元気になった。古い町家の戸をあけ、銀座商店街の協力をえて80日間のまちなかギャラリーを開いて、たくさんのお客さんを迎えることができた。自分にとっては楽しく大きな一歩だったと。

 人は誰もが、キラキラと輝くダイアモンドの原石を持っている。人と人とがつながり合い、思いを共有し、励まし合い、磨いてゆくことでその輝きはさらに増す。「それぞれの彦根物語」は私にそんなことを教えてくれた。


メルビル先生のこと
 最後に、「青い目で見る彦根:30年以上彦根に住んでいる経験」というテーマで話された滋賀大学のメルビル・ハロルド先生が、その後お亡くなりになったという報告があった。

 30年前から現在までの変化を見続けた外国人として、町並みの無秩序な崩壊を残念がっておられた。また、滋賀大学講堂を保存すべくロナルド・キーン博士を招待して大学幹部を説得したことも明らかにされた。その甲斐あって講堂は保全・修復され、今でも使われている。
 心からご冥福をお祈り申し上げたい。                   (By E.H)
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by machinoeki | 2009-01-03 18:10 | 談話室「それぞれの彦根物語」