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築城400年祭《談話室》 それぞれの彦根物語 2006.5.13

【彦根物語1】 「その後の直弼:20世紀に生きた郷土の偉人」     

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阿部 安成
(NPO法人彦根景観フォーラム会員、
滋賀大学経済学部助教授、日本社会史学者)

「その後の直弼」という題には、井伊直弼が生きた軌跡をたどり、彼の生を再現するのではなく、彼がその生涯を終えたあとに、彼がどのように想い起こされ、語られたのかをとおして、そのときどきの時代や社会の意味を考える、というねらいが籠もっています。
 こういうスタイルをとると、わたしにとっては、井伊直弼がだれだったのか(どんな人物だったのか)は、いつまでたっても空白のままとなってしまいます。その反面、直弼のイメージ(像)に投影され、またそれが照らしかえす時代や社会の様相が明らかになるとみとおしています。

 談話室では、横浜の掃部山公園に立つ直弼の銅像と、彦根は金亀公園でみられる彼の銅像をとりあげました。日本第一の港都を象徴する人物として横浜で選ばれた直弼は、それをよろこんでいるでしょうが、横浜からすると地元出身の代表を選出できなかった悔恨が、そこにあるようにみえます。また、地元のお殿さまとして銅像にかたどられた直弼は、天守閣にむいたその姿があまりに当たりまえすぎる地味な姿にみえ、余所者のわたしからしても、なぜもっと目立つ場所に(たとえば、鎌倉大仏や高崎観音ほどではないにしても、表門橋のたもとに、10mの台座を建てそのうえに)彼を立たせないのかと不満を感じてしまいます。

 談話室でのわたしの収穫は、直弼をめぐるいわばフォークロアをうかがえたことにありました。彦根では3月3日に雛祭りをしない、彦根では大根おろしに醤油をかけない、彦根市長選のときには直愛さんを土下座して迎えた地域があった、などの民話です。築城400年にむけて、わたしは、彦根にとって直弼とはなんだったのかを、できるだけ彦根の人びとに寄り添いながらたどってゆきたいと思いますし、それとともに、彦根のひとの神経を逆なでするような、意地悪い研究者としての直弼論を書いてみようと準備しています。

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by machinoeki | 2006-05-13 09:34 | 談話室「それぞれの彦根物語」
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