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《談話室71》それぞれの彦根物語2010.2.13

【彦根物語71】
 「浅井三姉妹、将軍家光と井伊直滋についての逸話」     

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畑 裕子
(日本ペンクラブ会員、作家)





 「浅井三姉妹」は北近江の戦国大名浅井長政と織田信長の妹お市の間に生まれた姫です。小谷城落城、その十年後の北ノ庄城落城で親を亡くした彼女たちは秀吉に保護され、数奇な運命をたくましく生き抜いた姉妹ですが、私はこの茶々、初、小督(江)の三姉妹に女性の原点を見るような思いがします。
 談話室では長政、お市の夫婦愛、三姉妹の生涯をとりあげ、その後、徳川秀忠と再々婚をした小督が生んだ将軍家光と井伊直滋についての逸話を語りました。三姉妹については十年近く興味を抱き、調べたりしてきましたが、彼女たちの真の姿があまり知られていないのではないかと思うようになり、『花々の系譜、浅井三姉妹物語』を上梓しました。淀殿(茶々)が秀吉の側室となり秀頼を生み豊臣政権の中枢へ、また小督は徳川三代将軍家光や後水尾天皇の中宮となった和子を生み、御台所としての立場を揺るぎないものにします。その豊臣と徳川の間に立って和議のために奔走したのが常高院(初)でした。こうした歴史の表舞台に現れた史実だけでなく、歴史の裏舞台に秘められた姉妹の心情をこそ読みとり、理解すべきではないかと思います。
 さて小督の生んだ家光と直滋について興味深い逸話が残されています。井伊家は徳川の旗本の筆頭であり、直滋は幼年の頃より秀忠、家光、家綱に仕え、寵遇を受けていました。逸話というのは、簡単にいえば、家光が、直滋に彦根藩主になった暁には100万石を与えるといった話ですが、これを耳にした二代藩主の父直孝は、井伊家が他の大名から妬まれ取りつぶしになることを心配し、嫡子の直滋に井伊家安泰のため突如出家を命じたのです。直滋は湖東の百済寺に遁世させられ、末弟の直澄が嫡子となったのでした。直滋は51歳で亡くなり百済寺に墓があります。
 正史に記されない歴史の狭間に人間のドラマがあり、人間の本質が仄見えるものなのでしょうか。

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                小谷城跡から城下を見る

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                小谷城大広間跡

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                浅井長政・お市の像(徳勝寺)

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          著書「花々の系譜、浅井姉妹物語」 (カバーに仄見える浅井家家紋)

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by machinoeki | 2010-02-19 10:42 | 談話室「それぞれの彦根物語」
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